諸行無常と諸法無我 

カテゴリ:み教え

いよいよ今年も終わりに近づいてきましたね。

この頃になるといつも思い出すのが 一休さんが読んだ句です。

「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」


前に一切皆苦と言う事で書いた 四法印の続きです。

諸行無常 諸法無我 一切皆苦 涅槃寂静 これが四法印です。

仏教の旗印 他の宗教と見分ける基準と言ってもよいでしょう。


諸行無常(しょぎょうむじょう) 

諸々(もろもろ)の行いは常(つね)でないと言う事です。

この世にあるすべての物は変化していく 永遠不滅の物はありません

最近のビルは鉄筋コンクリートで出来ていますが あの固いコンクリートも

100年すれば風化が進み始めるそうです。

お釈迦様は この世の物は刹那(一瞬)に変化していくと考えられました。

我々の肉体も7年もすれば全部の細胞が入れ替わるそうで 刻々と変化しています。


それがどうしたん?・・・ 次の諸法無我に導かれます


諸法無我(しょほうむが)

法というのはこの世にある全ての物の事 無我はわれがないと言う事

そんなはずないですよね

私は今ここに存在してる ここにいる私がないと言うのはどういう事ですか?

我と言うのは 永遠不滅 不変のものを我と呼びます。

私は生まれてもうすぐ60年になろうとしています。

背の高さも顔立ちも変化し続けてきました。

細胞の集合体である私です。細胞が変化すれば形も変化します。

でも私が有って この私が変化してきたと誰もが考えますが

お釈迦様は変化しない 私(我)は存在しないと言われたわけです。


たとえば今パソコンを置いてる机 100年経っても同じ姿でしょうか?

机の足を外せば 机ではなくなります。

天板と足の組み合わせで出来ている 単体では机にならない訳です。


毎年 歳をとって行く自分 その中にある変化しない魂のような私(我)

これが存在しない事に気づいていくことで我執がとれていくんですね。


だけど やっぱり理解できないんですよね

私があって この私が変化していると考えてしまう。


浄土真宗では 理解できない私に他力(仏さまからのお働き)によって

ひとりでに気づかされて行くんですね。

仏教の中では一番簡単な(易行道)他力の教えが私には合ってるような気がします。

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